日記・コラム・つぶやき

2009年3月18日 (水)

アムステルダム市長の挨拶

 「劇場政治の因果―戦争を禁止された“国家”の悲劇」塚本三郎著で、面白い文章を見つけた。それは、昭和の終り頃、日本傷病軍人会代表団が、オランダを訪問した、その歓迎パーティ でのアムステルダム市長の挨拶です。

貴方がた日本は、先の大戦で負けて、勝った。私どもオランダは、勝って大敗しました。今、日本は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。即ち勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。

戦前はアジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄耀栄華を極めていました。

今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。

貴方がた日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。

あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って、真相を見つめる必要があるでしょう。

本当は、私共白人が悪いのです。百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下におきました。植民地や属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜民族を、解放し共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。

本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。即ち日本軍は、戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族はそれぞれ独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。

自分をさげすむのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。

この歴史認識こそ、日本人のものでなければならないのではないか。

2009年3月17日 (火)

死ぬ覚悟と人を殺す覚悟

特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏が「正論」4月号で、「予備自衛官になって分かった専守防衛という虚構」というタイトルで、国防問題について書いている。

「専守防衛とは絶対に負けるということ」とその理由を示し、「「専守防衛」にとどまらず、「集団的自衛権は持っていても行使できない」とか、「非核三原則」「武器輸出三原則」など、自衛隊を縛る現実無視の原則は余りに多い。もちろん、憲法9条も同様である。このどれも他国では全く非常識な原則である」と、日本の国防は、虚構であることを指摘している。

さらに、「国民には「国防の義務」がある」という、言われてみれば当たり前のことであるが、日本人が意識していない点を指摘し、「外国人参政権問題にはこの国防義務の視点が完全に欠けている」

もっとも考えさせられた指摘は、「命を捨てる覚悟という意味では警官や消防士と同じでも、軍隊が根本的にそれらと異なる部分がある。それは「人の命を奪う覚悟」もしなければならないということである」我々は、国防のために、戦う覚悟と準備をしておかなければならないのであるが、それは、「自分が死ぬ覚悟だけではなく、人を殺す覚悟も必要になる」というのである。

国防問題を考えるとき、忘れてはならない重要な指摘だと思う。

2009年3月 5日 (木)

クイズ、日本の安全保障

Will 4月号 「自分の国を守れる体制を」ということで、石原慎太郎と田母神俊雄両氏が対談した記事をもとに、クイズを作ってみた。私たちが当たり前と思っていることがはたして正しいのであろうか。クイズ形式の問い掛けに対して、お二人の意見を聞いてみよう。まずは、自分自身で考えてみてください。

問1、日米安保条約を結んでいるので、日本に何かあれば、アメリカが守ってくれる。○か×か。その理由。

問2、アメリカは何千発もの核ミサイルをもっているので、北朝鮮が一発持っても影響はない。○か×か。その理由。

問3、外交交渉力は、核保有国か非保有国かということは、関係ない。○か×か。その理由。

問4、アメリカは、日本とは同盟国だから、日本も核を持つことを期待している。○か×か。その理由。

問5、ドイツもイタリアも核武装をしていない。だから、日本と同じように核を使えない。○か×か。その理由。

問6.軍人は暴走するから、制服の自衛官は、政治家や文官の役員の言うことを聞かなければいけない、という意味で、文民統制が必要だ。○か×か。その理由。

問7、日本は武器輸出の禁止をしている。これは、日本の安全保障にプラスである。○か×か。その理由。

2009年3月 4日 (水)

巣鴨プリズンと池袋の雑踏と私

 2月28日ある会合に出席するために、久しぶりに池袋に出かけることになった。そこで、巣鴨プリズンの跡地があることを思い出し、一度行ってみようと、早目に御殿場の家を出た。

 池袋の駅の案内所で、道案内を受け、地図を手に入れる。目指す遺跡は、豊島区立東池袋中央公園の片隅にあった。

 その遺跡は、2メートルくらいの半円形の石碑である。表には、「永久平和を願って」と彫られていた。その前には、線香台が置かれ、花が飾られている。「永久平和を願って」ということばに、なんと抽象的なと違和感を感じた。これは後日知ることなのだが、当初は、「戦争裁判の遺跡」とされていたが、反対運動に配慮して替えられたというのである。この碑の建立に反対運動があったのだ。悲しくなる。

 手を合わせ、裏にまわると、「第二次世界大戦後、東京市谷において、極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。

戦争による悲劇を再びくりかえさないために、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。

昭和55年6月」と記されている。

 「極東国際軍事裁判所が課した」という表現に共感した。そうだ、戦争犯罪人というが、日本が、課したわけではない、戦勝国が戦勝国の理屈で、課した罪なのだ。

 私は、メモをとり、携帯で写真を撮ろうとしたら、突然、怒鳴られる。「待っているんだ。はやく撮れ」びっくりして振り返るとカメラを抱えた男性が、立っている。身だしなみはなかなか紳士なのだが、顔は神経質そうであった。私は、「どうもすいません」といって、その場を離れた。写真をとろうと待っていたらしい。私は、結構長い時間、碑の前にたっていたようだ。

 公園内をぐるっと一周する。ブルーシートの小屋が数軒並び、その前で、3人の人が談笑している。不景気に気が滅入る。

 そこから、駅へもどり、会合の会場へ歩いて行くのだが、町の雑踏が、行きは、いつもの風景と気にもならなかったのだが、今度は、妙に気になり、気持ちが落ち着かない。

ティッシュ配り、店の呼び込み、看板もち、若い娘の服装、駅前では、「春闘はストライキだ。自民党を倒し、経団連をふっとばし、労働者のくらしを守りましょう」とスピーカーで訴えているが、道行く人は、無関心。そこへ、街宣カーがくる。新風とある。「中国の覇権に反対して台湾の人たちとともにデモ行進に参加を」と告知放送をしている。新宿であるらしい。趣旨に反対ではないが、行動への刺激はない。なにかむなしさを感じる。

私は、この雑沓をどう理解すればよいのだろうか。イライラと落ち着かない時間を過ごしたが、会合に参加すると、その世界に入っていた。

2009年3月 3日 (火)

中国の少数民族差別ー自治区とは名ばかり

 産経新聞2月23日の北京春秋で、「少数民族差別」の実態の一部を書いている。

その記事によれば、内モンゴル自治区にある国有系鉄鋼工場で、従業員を新たに募集することになった。不景気のさなか、毎月約2万6000円もらえるとあって、希望者が殺到している。ところが、応募条件がひどいのである。「高卒以上、18歳から28歳まで。健康な男性」ここまではわかるとして、次に、「漢族」に限るというのである。

 少数民族自治区内の工場なのに、漢族しか応募できないのである。その理由として「私たちの都市は漢族が圧倒的に多く、工場の従業員は全員漢族だ。モンゴル族を採用すると、文化や生活習慣の違いで管理上、面倒なことになりかねない」というのだ。

 「中国当局が長年進めてきた漢族移住政策により、多くの少数民族居住地域で、自治は名ばかりのものになっている」

 「中国政府の統計によると、内モンゴル自治区で生活している漢族は現在約2000万人。総人口の8割占める。それに対して、モンゴル族はわずか17%にすぎない。地元政府の幹部や国有系企業経営者の大半は漢族が占めており、少数民族への差別は当然のように行われているのが実態だ」というのである。

 「昨年3月のチベット騒乱以後、中国当局は少数民族への愛国教育を強化したが、本当に教育しなければならないのは、彼らの不満の原因を作った漢族の幹部たちの方ではないかと思った」と結んでいる。

 日本人は、あまりにこの実態を知らなさすぎる。

2009年3月 1日 (日)

民主党、小沢発言を支持する

 産経新聞(21年2月28日)によれば、24日記者団に語った発言が、党内外で波紋を呼んでいるという。小沢氏の発言は次の通りである。

 「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつく。

 米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る。(在沖縄米海兵隊のグアム移転をめぐる米国との協定締結承認案件に関しては)個別の話は政権を取ってからにしてほしい」

 この発言のどこが問題なのであろうか。米国と対等なパートナーとして、米国と世界戦略をキチンとたてて、日本も国際的な責任を果たしていこうというのである。ぜひ、そういう日本になってほしいと思うし、米国もそれを望んでいると思う。

 自立・自律した国家の建設を認めない社民党の批判は論外としても、与党の批判は彼らの本質を示していて面白い。

 米第7艦隊だけで十分だというところのみに注目し、その前提である「日本自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていく」という日本の安全保障体制の確立をはかるということを無視する。そうしたくないわけである。それどころか、公明党の太田氏は、「米国の肩代わりを日本でするなら自衛隊増強になる。再軍備の方向に行ってしまうかもしれない」という。自分の国をまもることを「米国の肩代わりをする」というのである。自分の国を守るために軍隊を持つことを否定するのである。

 与党は、自立・自律した国家の建設、日本の独立を守るという課題に目をつぶっている。

 小沢氏周辺は、「自民党や足元の民主党に安保論議をふっかけた側面もある」と解説したというが、ぜひ、そうなってほしいと思う。民主党の最大の弱点は日本の安全保障問題である。国の基本問題である。ぜひ、この点を克服してほしい。それこそが、政権への道である。小沢発言は、この基本スタンスを示している。

2009年2月28日 (土)

「生活」を人生の目標にしないこと

 2月23日産経新聞ウェブ立志編で、梅田望夫氏が、アメリカに暮らす高校生に、概略次のような話をしたと書いている。

 「次の50年」は、「変化が常態」の時代になる。

 戦後生まれの日本人の多くは、「予測可能な未来」を前提に生きることができた最後の幸福な人たちだったのだ。たとえば「終身雇用」という「予測可能な未来」を象徴する言葉だって、会社がいつなくなってしまうかわからない時代には、何の意味もなくなる。

 次世代の日本人に一番必要なのは「変化が常態」となった「予測不能な未来」を楽しめる強さなのだ。

 そのためには、「生活」を人生の目標にしないこと。フロンティアへの挑戦や冒険、研究や創造、知的興奮の追及、パブリックな精神に基づいた活動、グローバルな難題の解決・・・、没頭する対象は何でもいい。でも、おいしいものを食べるとか、便利で快適で安全な暮らしとか、そういった「生活」レベルのことではなく、それよりも上位の価値を追い求めること、それが君たちの責任だ。

 この主張を、どのように聞くか。民主党は、「生活が一番」といい、労働運動も「働く者の生活向上」を言う。望月氏は、「「生活」の質の向上や安定ばかりを求めれば、変化に弱くなってしまう」という。確かにそうである。望月氏は、「生活」を超えた価値の実現をめざすという生き方を問いかけているのである。今、私たちには、この「生き方」が問われているのではないか。

「予測不能な未来を楽しめる強さを持て。そのためには、高い志を持って生きよ」という主張に共感する。

2009年2月26日 (木)

余りに「私的」なものの表現に閉塞していないか

 産経新聞2月23日 正論 平成の「信時 潔」よ、出でよ と題して新保 祐司先生が、書いている。

 昨年11月に、日本伝統文化振興財団からCD6枚組の「SP音源復刻盤 信時 潔作品集成」が発売になった。そして、12月に文化庁の芸術祭のレコード部門で大賞を受賞したという。信時 潔といっても知る人は少ないかもしれないが、あの名曲「海ゆかば」を作曲した人である。信時 潔は、「皇后陛下御誕辰奉祝歌」や「大行天皇奉棹歌」なども作曲している。そして、昭和の初期には、こうした奉祝歌が数多く作曲され、歌われた。そこで、今年の11月12日には、平成2年の即位の御大典挙行から20年目という奉祝行事が開催される。この奉祝行事の一つとして、「奉祝歌」の作曲を提案するのである。

 国家には、崇高な威儀が不可欠である。日本は、この威儀と儀典的な形式を失っているのではないか。では、誰が作曲できるのであろうか。

 現在、「奉祝歌」のようなパブリックな芸術を作れなくなっているとしたら、音楽(あるいは芸術一般)が、余りに「私的」なものの表現に閉塞していることのあらわれであろう、というのである。

 余りに「私的」なものの表現に閉塞していないか、という指摘には、共感する。国家を主語にしてものを考える習慣を取り戻したいものだ。

2009年2月 5日 (木)

還暦同窓会

  私は、中学校を卒業するとすぐに転居し、その後、上京する。したがって、中学時代の友人とはほとんど付き合いはない。その中学校の同窓会の案内が来た。4年に一度開催されているのだが、今まで一度も出席したことはない。ところが、今回の案内状は、違っていた。「還暦」同窓会とあるのだ。内容も、地元の神社へのお参りが入っている。さて、どうするか。唯一連絡のとれる友人に電話をいれる。「出席するの」「あたりまえだろ」その友人は、毎回出席しているのだという。参加することにした。

  結論を先に言えば大変に楽しかった。嵐のようなハイテンションの一日を過ごした。「やぁー」と挨拶をする。中学時代の面影を探す。そして、こんなことがあった、あんなことがあったと思い出を手繰り寄せる。それが、延々と続くのだ。終わってみると、思い出話ばかりで、「今、何しているの、家族はどうなの」、といった話は、あまりしていないことに気づく。

しかし、これでいいのだ。60年間よくぞ生きてきた。そして、こうして、同窓会に出席できる。そういう自分は本当に幸せなのだ。

 

2009年1月15日 (木)

元旦の各紙社説を読む

毎日新聞

日本版「緑のニューディール」を

環境の先導で成長を図れ

 「時代は大きく転換しようとしている。米国発の世界不況が明らかにしたのは、実は資源・エネルギーの大量消費を前提とする成長モデルの破綻である。世界はそれに代わる新しい成長モデルを求めている。」

そして、米国次期大統領の環境投資をパッケージにした「グリーン・ニューデール」と李明博韓国大統領の「グリーン・グロース戦略」を紹介する。

 その上で、「私たちは日本もまた、日本版の「緑のニューディール」に踏み出すべきだと」主張する。

 「政府資金を環境に集中投資して需要不足を穴埋めし、中長期的に環境産業と環境技術が日本の成長を先導する経済・社会システムをめざすべきだ」と。

 具体的には、「化石燃料の消費と経済成長を切り離す。そのために、太陽光発電と次世代自動車を飛躍的に普及させよ」と提案する。

 最後に、「環境投資を軸とする経済成長は可能であり、その図柄をどう描くかの国際協調が始まっている」「改めて早期の衆議院を解散し総選挙を行うよう求めたい。新たな民意を得た政権が、日本版「緑のニューディール」に丈高く取り組むことを切望する」とまとめている。

読売新聞

危機に欠かせぬ機動的対応

政治の態勢立て直しを

 まず、「新自由主義の崩壊」と題して、世界金融危機と日本の経済の揺らぎを説明。それに対する対策として、「内需拡大に知恵絞れ」と題して輸出戦略の立て直しの必要性を指摘し、景気の底割れを防ぐために、内需拡大を急げと言う。そのための資金として、「眠れる資金」を掘り起こして活用せよ。

 次に、「日米同盟の維持が重要」と題して、世界経済が混迷する中でも、日本の国際社会への関与、協力の在り方は、引き続き、見直しが必要だとし、アフガン本土の治安回復活動への自衛隊参加問題、北朝鮮問題、ソマリア沖の海賊対策などをあげて、「日本が信頼できる同盟国だと思わせるだけの能動的な外交・安全保障戦略でこたえていかなくてはならない」

 そのためには、「党益より国益を」と題して、「政治の機動性を回復せよ」とし、「政治家も、国民も、世界と日本が険しい難所に差し掛かっているだということを、常に心しておきたい」と結んでいる。

朝日新聞

混迷の中で考える

人間主役に大きな絵を

 東西の冷戦秩序が消滅して20年。グローバリゼーションの掛け声の下に、「新自由主義」の考え方に支えられた市場は、世界に広がった。その大破局。人間や社会の調和よりも、利益を稼ぎ出す市場そのものを大事にするシステムの一つの帰結である。

 この間、日本では何が起きたか。戦後最長の好景気と史上最高水準の企業収益が実現。と同時に、貧富の差が拡大し、日本の安定をささえた分厚い中間層はなくなった。

 以上のように日本の危機を説明し、いたずらに悲観論に陥ることなく、この危機を乗り越えていかなくてはならない。

 この危機を克服するには、「大胆なビジョンと、それを実行する政治の力だ」「どんな国をつくっていくか。それは「環境大国」でも「教育大国」でも「福祉大国」ありうるだろう」「将来を見据えた国づくりに集中し、雇用も創出する。そうした、たくましい政治が要るのだ」と。

 三紙の社説を要約して紹介した。各紙共通するのは、新自由主義、市場原理主義の生み出した世界金融危機と日本経済の揺らぎを説明し、その対策として、国内需要の喚起の必要性を言う。そして、それを実現するのは、政治の力だと政治への期待を語る。

 読売新聞のみ「日米同盟の維持」の重要性を指摘している。私は、日本の外交・安全保障問題に対する、国の戦略の確立を強く期待する。政治の力は、国家の自立を確立することから生まれるし、日米同盟の発展も可能である。今こそ、「戦後レジュームからの脱却」が必要なのである。

2009年1月 4日 (日)

ぬるぬるの鯰(なまず)、ころころの瓢箪(ひょうたん)で捕まえよ

 読売新聞1月1日「謎かけの妙」玄侑宗久氏の論考からである。

 京都の妙心寺に国宝の瓢鮎図(ひょうねんず)がある。これは、足利四代将軍義持が、画僧如拙(じょせつ)に描かせたものである。この絵のテーマが、ぬるぬるの鯰(=鮎)を、ころころの瓢箪で押さえつけて捕まえよ、というものだ。

 さて、この謎かけは何をわれわれに問いかけているのだろうか。実は、この絵には、京都中の31人の禅僧たちが絵の上に讃という漢詩を寄せる形でそれに答えているという。具体的には、現物を見ていただくとして、この問いかけをどう考えれば良いのだろうか。

 玄侑氏は、「ころころ対ぬるぬる」ではどうにも埒が明かず、捕まえられるはずもない。しかし、捕まえきれない不可得でよく分からない心ではあっても、さてそれとどんなふうにつきあうのか」すなわち、「あなた方は分からない心を抱えたまま、どんなふうに生きていくのか、というのが問いかけられた内容ではなかっただろうか。」という。そして、「不可解を生きる覚悟ができたとき、初めてさまざまな人生態度が笑って楽しめるようになるだろう」というのです。

 これは、「できるはずはない。しかし、ただ、やり続けるのみ」という覚悟、姿勢が必要であるということではないか。考えてみれば、人生において直面する問題は、そのほとんどが答えなどない。答えがないのだから答える努力は必要ないというのでは、生きることそのものを放棄することになる。答えのない問いを、問い続けること。これが人生よ。そういう開き直りが必要かもしれない。

2008年12月25日 (木)

覚悟なき現実主義は堕落に通ず

 評論家の遠藤浩一氏は、雑誌「正論」で、福田恒存と三島由紀夫の「戦後」を連載中である。その中で、「現実主義」のさまざまな生態について論じておられる。いちいち共感するのであるが、その中で、第27回「悪魔」はゐなくなったか(平成20年12月号)の中で論じておられる「覚悟なき現実主義は堕落に通ず」は、おおいに共感するのである。

 緻密な議論なのですべてをフォローすることはできない。結論だけを紹介する。

 ジョージ・ケナンの「朝鮮戦争勃発時には、日本をほとんど丸腰のまま独立させ、その中立化を条件にソ連と取引し、朝鮮半島の中立化を実現すべきである」という外交政策と、ラッセルの「自由はもちろん大切だが、平和は生命を保証するものであるから、もっと大切なものである」という発言を取り上げて、こういう考え方は、一見現実的だが必ずしもそうではないと、福田を引用する。

 「平和より自由を」という標語的要約は第一義的に覚悟の表現であるのに反して、ラッセルにとって、「自由より平和を」は飽くまで現実に即した論理的帰結であって、現実を変へようとする覚悟に関するものではない。人間にとっては、現実を変へようとする努力の方が、現実に随う事より現実的であり、生産的である。

 ケナンの現実主義にスターリンを取り巻く現実を変へようとする意志が無かったのと同じやうに、ラッセルの「自由より平和を」(死より赤を)という処世観も現実を変へようとする覚悟とは無縁のものだった、というのだ。

 現実主義の堕落とは、脅威という現実を見ることをせず、その現実を変えようとする覚悟の不在をいうのである。

 「変わらぬ言論の不自由」の補足である。

2008年12月22日 (月)

株式会社大学

平成201218日(木)産経新聞より

 株式会社による学校の設立が話題になったのはいつごろだろうか。今、経営難に陥って廃校の可能性もあるという。

 私立大学の経営は、学校法人に限られていた。平成16年度から特区制度による規制緩和が行われ、株式会社による設立が認められた。現在、大学6校、高校19校、小中学校が各一校である。大学は、LCA大学、LEC東京リーガルマインド大学、デジタルハリウッド大学、日本教育大学院大学、サイバー大学、ビジネスブレークスルー大学院大学だ。

 なぜ、株式会社による学校設立が認められたのか。それは、新規参入による競争で教育の質を高めようという狙いがあった。ところが、現状は、こうして設立された大学の多くで学生の確保に苦しんでいるという。

 記事では、LCA大学の現状を報告し、平成21年度の学生募集の停止決定を書いている。

 この記事に接して驚くのは、まず、大学の名称である。横文字、略称ばかりで、どういう大学かがまったくわからない。私は、その存在すら知らなかった。生徒が集まらなかったら潰れる。当たり前のことである。こう突き放して考えるのが正当なのであろう。

性急に過ぎないか麻生評価

平成20年12月20日産経新聞より

 論説副委員長 中静敬一郎氏が「性急にすぎないか麻生評価」と題して、麻生首相の応援メッセージを書いている。内閣支持率が20パーセントに急落し、「やめろ」コールが高まっている中、めずらしい論調である。

支持率急落の要因に、定額給付金などを巡る発言のぶれ、失言。そして、経済危機への対応で、スピードを強調しながら、第二次補正予算の今国会提出を見送りにした事をあげる。しかし、米国では政権発足から100日間をハネムーン(蜜月)といい、お手並みを拝見するとして、麻生政権への評価は少し性急にすぎないか、というのである。

そこで、麻生首相の資質を取り上げ、誤解を指摘する。まず、月刊現代2009年1月号の逢坂教授の「麻生氏は文士であり、練達のエッセイスト」であるとい記事を紹介する。次に、石破茂農水相のホームページを取り上げ、「直観力、先見性は並みの政治家が遠く及ばないところだ」「テロ対策特別措置法の誕生における麻生氏の決断」を紹介する。最後に、11月15日の金融サミットにおいて、麻生首相が表明した国際通貨基金機能強化のための取り組みに対するIMFの感謝声明、ブラウン英首相の「指導的な政治家にふさわしい立派な政策だ」などと歓迎したことに言及している。

問題は、統治力であるとし、「ここは歯をくいしばる時だ」と。

私は、意外に麻生首相は粘るのではないかと思っている。そして、年が明けて、第二次補正予算、21年度本予算と政策課題にたいする回答を示していけば、状況の変化がみられるのではないかと思う。景気に対する急激な危機感への意識の転換はいつまでも続くわけはない。人間の意識は、それほどタフではない。景気は早急に回復するわけではないと思うが、人々の意識は落ち着いてくるはずだ。これは、私の「カン」でしかないが、麻生氏の粘りを期待したい。

ここまで、書いたとき、テレビのニュースは、内閣支持率が16,7パーセントに下がったことを伝えている。

竹林の循環でCO2削減 伐採 炭に 埋める

                   08.10.2産経新聞より

京都精華大学の山田國廣教授の研究室では、竹林を定期的に伐採、竹材で小屋などをつくっている。竹材は最終的に炭にして土に埋める。生態系や景観の保全だけでなく、二酸化炭素の削減にもつなげようという取り組みであるという。

 この記事は、富士山の森づくりに取り組んでいる私にとって、力強い応援団である。それは、私の考えと一致し、私たちの取り組みを学問的にも支えてくれるものだからである。逆にいえば、私たちは、すでにそのように取り組んでいますよ、ともいえるものである。

 山田教授の意見を聞いてみよう。

 「竹は1年目で高いものだと約20メートルまで伸び、成長が止まる。その後は、水分が減って、色が変わっていき、5年目で枯れ始める。こうした竹林の循環は、雑木林が20年から30年周期なのに比べ、極めて短い。きれいな竹林を維持するには、毎年、全体の2割を伐採するのが理想的なのだ。すなわち、竹林は、消費を必要としている。」ところが、最近は、竹林が放置され、荒れるままになっているのだ。そこで、竹材を多量に使う小屋を作る。生竹の耐用年数は5年程度だが、小屋は3年周期で建て替える。廃材となった竹で炭をつくり、土に埋める、という活動をしているというのだ。なぜ、埋めるのか。炭は燃料にすると、結果として竹が大気中から取り込んだCO2を大気中に帰してしまうことになる。土に埋めると炭素を固定することができるからである。山田教授の試算では、竹一本(約20キログラム)の20~25パーセントが炭素。これを最終的に土中に固定することがCO2の削減につながるからである。

 富士山ナショナル・トラストでは、宝永噴火によって、大砂礫地帯となった御殿場口から須走口に至る一帯の緑化活動をしている。その植樹方法は、竹で柵をつくり、その柵の中に植樹し、土壌を改良するために、有機物や竹炭を撒いているのだ。すでに、13年間活動をすすめているのだが、竹林整備にも貢献しているのだ。竹炭づくりにももっと力を入れていきたいと思う次第である。

2008年12月19日 (金)

金総書記が拉致認めた理由 日本が補償金100憶ドル支払う

 

         平成20年12月14日産経新聞より  

 北朝鮮の朝鮮労働党の対南工作機関である統一戦線部出身で、韓国に亡命した張哲賢氏が東京都内で開かれたシンポジュームにおいて、金総書記が日本人拉致を認めた02年の日朝首脳会談直後、統一戦線部幹部用に配布された講演資料に、「拉致を認定すれば日本の政権は北朝鮮に100億ドル(約9100億円)を支払う」と書かれていたと証言したというのである。 5人の拉致被害者が、帰国したとき膨大な金が支払われたのではないかとの予感はあったが、こういう証言が出てくると、どうやら事実のようだ。 問題は、日本の政府である。政府は、この事実を認めているのであろうか。どうも交渉過程について、明らかにしていないのではないか。こんにちの状況を考えてみると、政府は、今日までの真実の姿を国民に明らかにして、表門からの正々堂々の交渉を始めるべきではないか。たぶん、北朝鮮は、交渉に乗ってこないであろう。それはそれでよい。国民に真実を知らしめすことこそ重要である。そこから、きっと新たなる道が開けるであろう。

2008年12月17日 (水)

まねぶ始めます。

まねぶとは、まねることに始まるといいます。私が、気になった出来事、体験したこと、そういうことことに対する感想、意見を綴っていきたいと思います。1月から不定期に書き綴っていきます。パソコンに不慣れなので、お見苦しいことがあろうかと思いますが、よろしくお願いいたします。花田拝。

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